「富士塚」、「富士山塚」は富士山を模した小型の築山。
古くから信奉者は「お富士さん」などと呼び、「品川富士」など頭に地名などをつけ、1977年ごろから富士山信仰と誰もがたやすく富士登拝をたやすく疑似体験できることで庶民の共感を得たようである。
世田谷では、渋谷宮益坂・山吉講の枝講で広くこの講に属していました。
写真は森厳寺内の富士山塚です。
現在は墓地の中央に位置し、かなり荒れています。
八幡山森厳寺は、粟島の霊灸で知られた浄土宗のお寺で針供養など全国的に知られた古刹です。
開基は徳川家康公の二男、結城中納言秀康公で、結城秀康公(法号は「浄光院殿黄門森巌道慰運正大居士」)は作州津山領主松平三河守の祖先として同家の位牌所となっています。
だからお寺は「葵のご紋」。
また小城(おぎ)領主鍋島加賀守の墓碑もあるそうです。
さて、森巌寺の富士塚は鍋島山とも呼ばれ、渋谷区の吉田家文書に
「森巌寺境内の鍋島山を富士塚に造り変え奉納することになりました。
よそさまの土地なので下北沢村の皆様にご迷惑をおかけしないようにします」
との一札が入っていました。
願主 堀江新兵衛(三軒茶屋の茶店田中屋)
講中総代道玄坂(山吉講)吉田平左衛門
下北沢村名主 伊東半蔵殿
文政四年巳三月(1821)
と有ります。
都内には50ぐらいの富士塚があるそうですが、区内は現在ここだけです。
タイムスリップしたみたいで楽しいですね。